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そもさんせっぱちょーちょーはっし

議論は負けへの一本道

最近そんな気がしてきた。議論する気満々な人がいても、相手にその気がない場合、茶化されて終わったりするのを見たりするので。
同じ土俵で相撲を取ろうと言われ、相撲のルールを守ろうとつとめ「はっけよい残っ」た途端、いきなり顔面にドロップキックをされたらたまらない。「でへー奇襲w俺の勝ちw」「いやいや、お前倒れて背中着いてるし」「あはーwww鼻血出しながら強がって馬鹿じゃねーのーwwww」って感じ。後出しのルールだったりそもそもルールなんてなかったり、彼の頭の中にあるルールはどこにも明示化されてなかったり。


しかし、明示化はされていなくても、彼のルールというものは彼の言論・行動を注意深く見ていればわかる。彼は勝ちたいというより、そもそも勝負している意識すらなくて、ただ単純彼の相手の「勝負ごと」という概念をなめきっているに過ぎない。だから彼の中で何かが音を立てて崩れない限り、彼には勝てない。勝敗を決めるのは常に彼の頭の中にある俺ルールだからだ。俺ルールは卑怯にして最強である。


他の事例も考えられるか。彼は勝負をしているのだけれど、目の前にいる当人じゃない誰かとしている場合や、最終的な目標を達成するワンステップとして勝負をしているといった場合。その場合も、やっぱり件の「相手」との「勝負」は勝負ではない。最終的な勝敗を決着づけるための、間接的な評価材料に過ぎない。見据えている場所が違うのである。この場合は俺ルールは仮のルールということになり、相撲のルールは嘘のルールとなるのかもしれない。嘘のルールを仮のルールで包んで、真のルールである目標を達成することに近づこうとしているに過ぎない。


悪が強いのは、徹底的に悪だからである。目標はあれど、その目標のためには自分が目標としていることすら否定するのも厭わないからだ。いつも二枚舌でいつも嘘をついていつもそれが面白いと信じているのだ。これは強い。絶対に負けない。ただ、僕のまわりにそういう近しい人間が一人いたとして、僕は彼と遊びたい、ゲームしたい、勝負したい、とは思わない。そして僕の周りにいるその他の近しい人間が、同じ表明をしたとしても、それはいじめにはならないだろう。お前とは遊びたくないお前は卑怯だもの、と言ったとしても。それをいじめだというのなら、論破をせざるをえない。議論がどれほどクリエイティブでなくても、相手にその気がなくても、僕は議論することで自分を守ろうと務めるしかない。叫ばない時点で僕の負けになると、僕は知っているからだ。自分が好きで自分の好きなものが好きで、その僕の土俵を荒したりただの踏み台にしようとする者がいるなら、相手がどのようなルールを持ち出そうともそのルールに則り戦うしかない。自分を、自分の好きなものを守るためにだ。
僕は自分のことを善だ正義だと言いたいわけじゃない。id:aureliano氏と違えばそれでいい。それくらい頭に来たんだ。