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そもさんせっぱちょーちょーはっし

ふつうにしてればモテるのに、という人格否定

掲題について告白いたしますと、親しくなった女性陣に僕がよく言われる台詞とその台詞を受けての僕自身の感想であります。台詞を発した女性陣の中には恋愛関係を持ったものもいれば、恋愛関係を持ちたいと思ったものもおります。もちろんそうではない仕事上の仲間であったりもします(余談ですが僕には女性の「友人」といえるものはおりません)。話を聞いてみるとどうやら親しくなるにつれての僕の態度の変容が問題だそうなのです。

第一印象

  • 真面目
  • 責任感がある
  • 博愛的な優しさ
  • クール(適度な距離感)

セカンドインパクト

  • ふつうの社交辞令的な会話をしなくなる(すべて冗談を交えたがる)
  • 真面目な会話はマニアックなものばかり(蘊蓄語り)
  • 極論主義者(はあ、またその論にいきつくわけ?)

末期(特に恋愛関係に陥った場合)

  • 一人よがりなガキくさい理想論(中二病)
  • 身内より他人(外面がよい)
  • 下ネタばんざい(はあ、またオマチンコ話?)

おそらくこれは僕自身がその女性に対して壁を意識しなくなっていく過程なのだと思います。
で、こういう話を親しくなった職場の男性陣と話のネタ程度に言うわけなんですが、たいてい、
「あー、わかりますねー」
なんて言われたりします。
「なんていうか、ベクトルの持って行き方が間違っているんですよね」
なんて。

傍目にみると「モテる人」に見えるそうなのですが、どうやらもったいない人生を歩んでいるそうなのです。起ち上がるフラグをことごとくへし折る茨の道を歩んでいるようなのです。


***余談です
一つ言わせて頂きますと、これは「鈍い」だけではないのです。気付かないフラグもあったかもしれませんが、気付いているフラグもあるのです。しかし、僕はどちらも意識/無意識関係なしにへし折ってしまうのです。僕の中で「お前はそれでいいのか」「お前はそれで顔向けができるのか」という自問自答が起き、僕はそれに逆らうことができないのです。「はたして誰に顔向けできないんだろうか?」という疑問は発生しません。顔向けできないのは不名誉なことなので、顔向けできるようにへし折るまでなのです。
***余談でした


先月くらいまで、僕は掲題の言葉の本当の意味を全く理解できていませんでした。

で、そんな僕が「ふつうにしてればモテるのに」という言葉の真意を実感したのは、ここ最近の話です。今の職場/現場では、僕はITによくある常駐派遣の形式をとって入場しております。つまり職場にいる社員はすべて「お客様」という対応をとっております。それはもう猫を被っているわけです。猫を被っているわけですから

第一印象

  • 真面目
  • 責任感がある
  • 博愛的な優しさ
  • クール(適度な距離感)

以上の接し方を僕はすることはできません。「お客様」相手に失礼なことはできないわけですので、徹底的に自重しています。その結果「クール」と思われたり、「博愛的な優しさ」が出るのだと思います。それが仕事だと思っているからです。
しかしそんな意に反して、どうやら一部署の女性社員からは人気があるようなのです。その話を女性陣の上司(男性)から聞いたときには驚きました。そんな気の利いた会話をしたわけでもなければ、僕は夜勤なもので日勤の女性陣と同じ空間にいるのも日に1時間もないわけですから。まったく接点がない彼女たちから人気がある、と言われるのも不思議な気持ちです。からかわれているのでは、という話もあるでしょうが、おそらくはこういうことなのだと前向きに推理してみました。

モテる=礼儀正しさ」なのだと。「ふつうにする=礼儀正しくする」なのだと。


どうやら女性(便宜上ひとくくりにします)は男性に対して、
「わたしにだけは本当のあなたを見せて」
「わたしにだけは子供のあなたを見せて」
と言う願望がありながら、
「本当の僕(もしくは今読まれているあなた)」を見せる→ドン引き
という裏切り行為(あえて言う)をする生き物のようなのです。


しかしながら「モテたい」からといって、そんなものに甘んじて良いのか、という自問自答。自分を隠してまで願望成就したいのか、という自問自答。本当の僕を理解してくれる人はいないのか、という中二病。何かを裏切ってしまうのではないか、という自責の念。全てに苛まれ僕は虚言かもしれない「モテ」報告に今まで以上の人格否定をされた気持ちになったのです。