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そもさんせっぱちょーちょーはっし

使い辛い言葉

ネットスラングで『神』ってのがある。イチロー!ネ申ktkr!とか書かれる感じの例のあれ。これはぼくにとっては、まあ「安易だな」「語彙がねーなあ」と思いながらも許せる形の『神』の使用例。好きな『神』の使用例もある。『なんだ、ただの神か』ってやつ。こっちは冷静に「判断した」点が見られるのがいい。まあ、どちらも『神』に対してのなんかしらの親愛の情が見えるからいいやね。

『神』って言葉に付随する宗教的なイメージ(当たり前だけど)は嫌いなんだ。評価軸が自分自身にあるはずなのに、他者にゆだねた形で表明する、そんな卑屈な感じがみてとれてしまう。これって『神』に対しての背信行為だと思うんだけどどうかな。「天皇を中心とする神の国」って言っちゃった人がよっぽど天皇のことなんて考えてない、みたいな。妄信的付和雷同的衆愚性はもう怖くてしょうがないんだよね。

閑話休題。上記をふまえて使い辛い言葉の話。
僕にとっての使い辛い言葉はぱっと思いつく限りで三つ。

1.『神』
2.『尊敬』
3.『愛』


1.は先述した通りで、自分の意志を他者に委ねているきらいが見え隠れして嫌だ。
2.は上記と近しく無知蒙昧で追随して行く感じが嫌なんだ。属人論法って奴だよね。尊敬すべき対象も間違ったことをするし、そのときにあなたは正当な評価を下せますか?また、『尊敬』って言葉は遠いんだ。壁があるんだ。本当に好きな人憧れの対象なら、『尊敬』なんてしないで「友達になりたい」って僕は単純に思うんだけど。
「ピカソを神棚から引きずりおろせ」岡本太郎の言葉。
「ジョーのようになる、それは彼の音楽やファッションを真似るとゆうことじゃなく、誰の真似もしないとゆうことでした。」これは甲本ヒロトの言葉。
本当に好きだから言えるんだ。『尊敬』なんていって手の届かないところにおいてしまうのは、果たして本当にその人を理解して好きになっているのか疑問に思ってしまう。思考停止の言葉だと僕は考えて『尊敬』って言葉を再定義してる。誰かを評価するとき安易に使わないよう自分に枷をかけている。
3.はわからないから使い辛い。ただそれだけ。わからないもやもやとした事象に名詞をつけるのは嫌だ、という理由。『愛』ってもう一生で一番の輝きで、類似する事柄なんて他にはなくて、たぶんすっごく重いんですよ。だから死ぬ間際にふと、「あれはもしかして、いわゆる愛ってやつだったのか」と思えて死ねればそれでいいわけで、生きてる間にそんなこと考えちゃうのはなんか不謹慎なんだと思う。恋愛関係では口に出せない言葉だなあ。でも言葉に詰まったときには「たぶんこれって愛なんだなあ」っていう使い方ができるのでそれはそれでいいのかもね。

言葉はその人自身を表すと思っていて、その人の語彙量はもちろん、その人がどう定義して都度<<言葉>>を吐いているかで、僕はその人を評価している。言葉に対して誠実である人、僕はそれだけでその人を信頼できる。