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そもさんせっぱちょーちょーはっし

『他人を傷つける』ということ

Twitter の TL 上でこのことについて考えている人がいた。その人にも言ったのだけど、僕が思うに『傷つける』っていうのは、結果論でしかない。自身の行いがトリガーとなり得るのだけど、それで制約を課されるっていうのはどうなのかな。また、ある人を傷つけた行為が、ある人を励ましたりする行為になることもあると思うんだ。


例えばあかんべえ。


ある人は傷ついた。『幼少時代、口が大きいと馬鹿にされた私にあかんべえをするなんて』
ある人は笑顔になった。『バブバブ、キャッキャ』


ネガティブな見方をすると、『傷つける』ことにのみフォーカスを当ててしまい、『傷つけ』そうなことを避けがちになる。けれどもそれってその行為によって励まされる人達を、裏切っているとは言えないか?


『ブゥ』(あの変な顔もっとみたいよ)


僕の持論で行くと、ネガティブから始めると物事はとてもすんなりと上手くいく。だから僕はその持論に則って『傷つける』ことは始まりだと思うことにする。


子供の頃、誰かを傷つけたことはないだろうか。
そしてその傷つけてしまった相手の子に、なんとか埋め合わせをしようとして、滑稽なほどに媚びて、ご機嫌をとって、やっと思いが通じてより仲良くなった経験は無いだろうか。安易に人を『傷つける』ことも未熟で人間として恥ずべきことであるなら、安易に『傷つく』こともまた恥ずべき行為ではないだろうか。そのことをたぶん相手の子は理解した。彼が滑稽なほどに媚びているのは、自分が『傷ついた』せいだからだと。
お互いがその未熟さに照れ、かっこ悪い仲直りを選んで、子供たちは大人になって行くのではないのだろうか。そうでしょ? 実際に僕ら、そうやって大人になってきたはずでしょ?