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そもさんせっぱちょーちょーはっし

差別のK点

「この差別主義者めー」 - 徒労の雑記において、

引用1
韓国人がパクリ大好きの低モラル民族というようなカジュアルな蔑視は、もう空気のようなレベルで日本社会(あるいは日本のネット社会)に根付いているらしい。

そしてカジュアルな蔑視差別については、

引用2
   1. 在特会レベルの突き抜けた連中さえ批判していればOKとは考えないでほしい。
   2. カジュアルに差別発言をしないでほしい。
   3. カジュアルな差別発言を見かけたときも「はいダメー」と言ってほしい。

と引用2の3.においては(想像するに)「(カジュアルな差別には)『はいダメー』とカジュアルに批判してほしい」と記述された。
しかし、

引用3
在特会あたりのメンバーが言っていても違和感ゼロの差別発言なのに、「最悪だ」とか「失望した」とか、そういう声はまるで見かけられなかった

という記述が同一エントリ内にみられた。僕は、引用3の記述は、引用1、引用2を警告するエントリ中にあってはならないものだと考えた。先の「韓国=パクリ大国」と同じように「在特会=差別発言をしそう」という比喩、代名詞化はカジュアルな差別をしているからだ。ちなみに僕は在特会を差別主義者だとは思っている。だが本件エントリ主の主旨に照らし合わせれば、それは言わば「事実であるとともにある種の<<カジュアルな差別>>」であるとも考えた。
例え『在特会は以前に差別発言をした連中だ』という事実があったとしても『在特会は常に差別発言をする連中だ』というのとは当然意味が違う。
そもそも事実であれば「差別」を避けられるわけではない。事実だからこそ「差別」になり得ることもある。
「人殺しの息子」というニックネームは例え事実であっても明らかな差別だろうし、「サノバビッチ」が事実でも同様の差別だと思う。
なぜ「在特会」を「差別主義者」の代名詞と使うことだけが許されるのか。そういう疑問を込めて、以下エントリへコメントを投じた。
「この差別主義者めー」完結編 - 徒労の雑記

ngsw:
先の『在特会あたりのメンバーが言っていても違和感ゼロの差別発言』という記述これ自体「カジュアルな差別」であるとは言えませんか。この点がひどく気になっています。
http://d.hatena.ne.jp/toroop/20110116/p1#c1295291060

id:toroopさんからご対応いただいたコメントは以下であった。

私はそうは思いません。しかしngswさんがそう思われるのでしたら、堂々と批判してくださって結構です。
http://d.hatena.ne.jp/toroop/20110116/p1#c1295342929

なのでここに記した。
『「韓国=パクリ大国」と「在特会=差別発言をしそう」という二つは同じような程度のカジュアルな差別発言である』と僕は考えている。
程度問題にしたくないが故に「カジュアルな」という前置きをして、結局のところ程度問題にしてしまったのはなんなんだろう。

追記:
id:novtanさんの

ラベルの種類にもよると思うけど、
自分の意思で自由に出たり入ったりできる集団に属することにラベルを貼るのは差別とは思わないな。
その人の意思が介在しない本質的な属性ではないから。

けっこう危険な思想かと思います。それは「『差別発言しそう』と言われたくなければ転向しろ」という発言と同じく思えます。実際問題で言えば在特会は差別主義者でしょう。だけれどもそれを以て「差別発言しそう」ということを紐付けるのは「カジュアルな差別」なんですよ。
「差別発言を◯◯の時にした」という指摘ならば良いんです。でも「しそう」というのはカジュアルな差別ですよ。前科者に対して延々と「前科者」「またやりそうだな」と罵っていいわけではないですよね。

間違ってほしくない点ですが、
僕は「韓国をパクリ大国だ」と言いたいわけでもないし、「在特会は差別主義者じゃない」と言いたいわけでもないんです。「『カジュアルな差別をしてはならない』という人が、カジュアルな差別をしていることに無自覚であること」に疑問を感じているのです。