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そもさんせっぱちょーちょーはっし

春に花見をするという楽しみがあるとして

<橋下大阪市長>バス運転手の給与削減案を了承へ (毎日新聞) - Yahoo!ニュース
というニュースがあってさ。こういう「◯◯という前提が覆される瞬間」ってのは非常に緊張感が走りますね。っていうのは「この前提を期待して予定を立ててきた」ってのが普通の人間ならばあるからです。普通の人間というのも変な言い方ですが、つまり「俺は明日も生きているだろう」と考える人達のこと。「今日死んでも後悔のないように生きろ」なんて人は言うし「俺それ実践してるから」とか言う人もいないわけでじゃないけど、まあそういう人はそういう人でいいんですけどもそうじゃない人の話。


「赤字だから削りますね」というのは民間企業では全然成立する話なのでよくわかる。でもそこに「公務員」という前提が来るとすんなりと行かなくなる。すくなくとも僕の心情の中では。
すんなり行かなくなる原因っていうのは、公務員*1 *2 って「経済的合理性に欠けること」が「公共の福祉実現のための合理性にかなうこと」として機能することもある、っていうか公務員ってそもそもそういうのを期待されているんだよな、って僕が思ってるから。


そういう「公務員とはなんぞや」という前提を僕だけじゃなくてそれぞれが持っていてだね、その「公務員」という職業にそった生活水準、つまりは「ある程度時間に余裕もあるし、給与も安定しているし、福利厚生も云々」みたいな一般的公務員イメージを以て、公務員を職に選び生活プランを立てた人がいるわけですよね。その人達に対して今回みたいな「赤字なんだから削りますよ」「民間なら当然ですよ」みたいな、結局「それくらい先読みしないのが悪い」「安泰で磐石な地位にあぐらかいてたのが悪い」みたいな自己責任に落としこむのはちょっと嫌だなって思うわけです。はしごを外された感がちょっとあるよね。


「◯◯を再生するために多少の犠牲はしょうがない」って発想が僕にはちょっと難しいなって思うわけ。だって僕自身は犠牲者になりたくないもの。なにより「多少の犠牲はしょうがない」って口にする人が血を流しているのを僕はみたことがないもの。「あーそうなんだ、こういう連帯責任を装った搾取ってあるんですねそうなんですね」って気持ちになります。


人々の生活パターンに組み込まれている「小さな幸せ」や、これくらいしても文句言われないよねってノリの「小さな贅沢」が、削られていくような社会にはしたくないなと思うわけです。そのために「公務員、職員そのものの減給」とかには敏感になっています。というのも「赤字→減給」が真ならば「機能縮小→民営化」っていう流れが目に浮かぶからです。そういう経済的効率化に基づいた新しい枠組みって奴で、どれだけの安全性*3が損なわれたか。

*1:だけじゃないけど。例えば「過疎地の新聞と知る権利」の特殊指定の問題とか

*2:こことか→[http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-04-05/2006040501_05_0.html:title=国民の知る権利侵害の「特殊指定」見直し反対/新聞協会の要請に志位委員長]

*3:つまりは公共の福祉