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そもさんせっぱちょーちょーはっし

非協力が罪なのではない -心理的安全性、その前提-

を一月ほど前に読み終えていた。 ここで語られる「心理的安全性」とは「凡人ズチームで生産性を高めるための基礎たり得る哲学、方法論」というような内容である。 「心理的安全性」については、

などを参考にされたし。非常にいい考えであり建設的な内容であると思う。

しかしながら「とはいえそう言われてもねえ」という状況は、日本においては当然のように起こり得ると考えている。 僕個人は「本書のうわべの内容だけで、どの職場においても適用できる内容とは考えていない」ということであり、本書を読んで考えたのは、「チーム」よりもまずはじめに雇用者と被雇用者という労使関係の現実がある、ということだ。

被雇用者は雇用者と労働契約を結び、はじめて「チーム」に所属することとなる。 つまりは「チーム」に先んじて「労働契約」があるわけで、これは「協力」に先んじて「雇用者被雇用者間のビジネス」があるということだ。究極的な話「雇用契約に明示された『協力』は義務である」わけだが、「そうでなければ義務ではない」ということは十分主張可能である。

上記が真であれば「非協力的行動と、協力的行動のメリット/デメリットの比較」を「被雇用者」が自身の収支と検討するのは当然の流れであると言える。そうすると「非協力的行動を奨励する経済的な理由がチームに(暗黙的であれ)存在する」ということが成り立てば、「被雇用者であるチームメンバーは非協力的行動をとる」わけである。経済的には。「本書で言う『心理的安全性』を適用する場合には、雇用契約内容が被雇用者にとって充分であること」は必要条件なのだと思う。言い換えれば「本書の出発点が、御社の現況とイコールではないかもしれないこと」をもう少し考えなければならない。「心理的安全性」には当然「チームメンバーである被雇用者それぞれの待遇」が含まれる。この点は無視してはならない。

また「協力だ、心理的安全性だ」というスローガンが響かないチームにおいて、「心理的安全性」をバズワードとして持ち出してもほとんど意味が無いだろう。なぜならばそのようなチームにおいて語られる「協力」は「指令であり命令」だからだ。「協力しないことは罪」なチームにもまた「心理的安全性」は存在しないし根付かない。

実際そのあたりは本書の行間に書かれているような内容であると思えるが、「心理的安全性」という言葉だけが強く浸透することを懸念し、掲題はそのような理由でつけた。スローガン的に申し上げれば「非協力が罪なのではなく、協力してもらうよう作用させられないことが罪」なのである。あなたのチームにおいて「協力をした者」「協力を促した者」に対してインセンティブ(これは金銭でなくてもいい)を発生させる準備はありますか?「収支が合わなければ協力しないこと」はビジネス的合理性において全く正しいのだから、上記準備を備えてから「心理的安全性」を語るべきだ。