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そもさんせっぱちょーちょーはっし

問題文をつくることの難しさ

id:konifar 氏の

を読んで感じたのは 採用基準における「地頭のよさ」とは何か という問題文が自転車置き場の議論を引き出してしまうよな、という気持ちだった。 この点は筆者も

とにかく、ここまででわかったことは「地頭のよさ」という言葉を使うのはやめた方がいいなということだ。

と避けたほうがいいよねという結論に達していて好感が持てた。

いろいろ考えたい

1

以前twitterでみた「免許取得時の問題にひどいひっかけがある」というのをなんとなく思い出した。

ツイートが見つからなかったので近しい主題を言及されていた上記エントリから問題文を引用する。

Q1.原動機付き自転車は公道で50km/h以上で走ってはいけない。

  答:×30km/h以上で走ってはならないから

がそれである。 上記引用部に潜む「この問題文は答えを見たあとになんでこんな後味の悪い気分になるのか」を考えたい。 ひっかかる形の思考を自動車免許学科試験の「クソ問題」と、それを生き延びる方法 - 愛と怒りと悲しみのと同様に辿ってみる。 おそらくは「『30km/hを遵守することでそもそも50km/h以上で走ることはないから』という結果的事実を前提に盛り込みひっかかる」ということではなかろうか。 このときはこれっきりで考えることをやめた。

2

そして数日おいて安達裕哉氏の書いた以下のエントリを見つけた。

このエントリで安達氏が経済学者ダニエル・カーネマン氏の引用を以下の形でした。

すべてのバラは花である。
一部の花はすぐにしおれる。
したがって、一部のバラはすぐにしおれる。

そしてこう続ける。

無論、回答はNOである。

だが殆どの人は「YES」と思ってしまう。

で、この流れにはてブコメ的にツッコミが入っているのも確認した。 秀逸なのはこれだ。

「論理的に考える/書く」は、人間の本能とは異なるので、身につけるには辛抱強い訓練が必要。 | Books&Apps

ちょっとまってほしいバラ以外に花が存在することは前提に述べられていない

2017/02/08 21:27

このブコメ主の発想はとても好きで、本エントリ掲題そのものを語ってくれているよう感じる。

3

「原付きひっかけ問題」と「バラしおれ問題」は同じ背景を持っていて、 どちらもある種の観点からツッコミが入っている。

「原付きひっかけ問題」は「結果的にそうなるから○だろ」というツッコミであり、 「バラしおれ問題」は更に深刻で「現実から乖離した論理問題であるはずが、明文化されていない『バラ以外の花が存在する』という一般常識を持ち込んでいいの?」というツッコミと、 「そうやって一般常識を持ち込めるなら『俺はバラがしおれたのを事実見たことがある』けどそこは無視か?」というツッコミである。 ひとえにこれが問題文のつくることの難しさなのだと感じる。

それではここでひとつ例題を考えた。回答と 「その回答がおかしい」とするツッコミを 入れられるだけ入れてみようと思う。

例題

諸条件が満たされれば、水は−273.15度(絶対零度)で凍結する
回答 理由 その反駁ツッコミ 解説
絶対零度ならば凍結するから 違う。絶対零度ならば 諸条件が満たされていなくてもすべてが凍結する から A
諸条件が満たされれば水は0度で凍結するから 違う。問題文は 絶対零度の状態のみを設問している から B
-273.15度がセルシウス温度である定義がないから 違う。絶対零度という添え書きがあるからこの文脈では -273.15度 はセルシウス温度と認識して間違いない から C
x 諸条件がみたされなくても水は0度で凍結するから 違う。 水が純水であったり当該試験場が1気圧である明記がない から D

A

これを○とした人は 0度から-273.15度という温度の範囲 を考えている。

その範囲中で水が凍結するという事実をよく理解している。

これを☓とする人は 諸条件が満たされれば という但し書きが必要かそうでないかを吟味したいと考えている。

B

これを☓とした人は 水は何度から凍結するか という水のもつ性質を考えている。

ないしは 問われているのはセルシウス温度のこと と考えている可能性もある。

これは「原付速度制限クソ問題」の出題者と同じものの見方と言える。

これを○とする人は 問題文が定義した世界を忠実に守ろう と考えている。

このとき現実世界からは乖離していようが構わないという立場であるとも思える。

C

これを☓とした人は Bよりもさらに忠実に問題文に執着している と言える。

これを○とする人は 問題文の中に問題を解決する鍵が必ず存在する、いわゆるフェアな問題である前提 でこの問題文に対峙している人である。

D

これを☓とした人は B とほぼおなじ立場のように思える。

これを○とする人は C とほぼ同じ立場のように思える。

最後に

書いていて途中で自信をなくしてきたのだが続ける。

語りたいことは「問題文を提示するときには、なぜこの問題を出すのかを回答者に明示しなくてはならないのではないか」ということだ。

「原付速度制限クソ問題」であれば「法律をあなたが拡大解釈せずに理解しているか」ということであり、

「バラしおれ問題」であれば「バラと花は記号化されており、バラは花に含まれた集合でありかつ等価ではない、そしてここで問うのは集合と論理である」ということだ。

このあたりの明示がないままだと、問題文作成者に謎の権力が発生する構図になる。

そしてこのあたりを敏感に捉えた結果、id:konifar 氏は

抽象的で役に立たない言葉だと思うけど、
もしかしたら「あなたは地頭がいいと思いますか?また、地頭のよさとは何だと思いますか?」という質問をすれば、
求める答えが得られるのかもしれない。

というところにもやもやしながら行き着いたのではなかろうかと勝手に推察した。

「地頭のよさ」や「地頭力」という言葉はふわっとした形の理解では非常に便利さはあるが、

その一方で「問題文作成者の都合(採用であれば『企業の論理』)でその有無を雑に判定される可能性すらある」という印象を持った次第。

そしてそもそもこの「便利さ」は「地頭のよさ」という言葉を使う側の能力を、 隠蔽することにしか機能しないのではないだろうかという自戒も併せ持った。