学習時のもやもや感の正体
新しいことを学習したりする、その最中に起こるもやもや感の正体が何かを考えた。
基本的には知識/経験が足りないことに起因するのだが、それでは 知識/経験が足りない
とはどういうことかを考える。
学習とは思うに
- 前段としての
暗記
に相当する単体のデータ格納
- 後段としての
理解
に相当する各単体データの構造化
があり、後者がもやもやの根源と思えた。
暗記
においても、たとえば『DNS』というシステムを理解する必要があるとする。
Domain Name System(ドメイン・ネーム・システム、DNS)とは、 インターネットを使った階層的な分散型データベースシステムである。 1983年にInformation Sciences Institute (ISI) の ポール・モカペトリスとジョン・ポステルにより開発された。 現在では主にインターネット上のホスト名や 電子メールに使われるドメイン名と、 IPアドレスとの対応づけ(正引き、逆引き)を管理するために使用されている。
このときまず DNS
という語の意味を 暗記
しなければならないのだが、
などをすでに 理解
していないと 暗記
そのものも難しい。
つまり 暗記
には別要素の 理解
が必要となってくるということでもある。
学習における 理解
の前段としての 暗記
と、その 暗記
の前段における別要素それぞれの 理解
との、
数珠つなぎで発生する奥の見えなさが、学習時のもやもや感の正体と考える。
それではそのもやもやを解決する方法にはなにがあるだろうか。
ウメハラ氏は『梅原大吾のスーパーストリートファイター講座』において、
昇竜→セビキャン→滅波動のコンボをできるところのパーツを切り取って練習する
という話をしている。
昇竜→セビキャン
(セビキャンのキャンセルの部分である)前ステップ→滅波動
の2要素に分けて練習しよう、という主旨だ。
本エントリとあわせると以下のようになるだろうか
- 構成要素のパーツを最小の組み合わせで
暗記
する 暗記A
と暗記B
の関係性を構造化して組み合わせ理解
する
基本が大事だとよく言われるのは、暗記
フェーズにおいてそれ以外の 理解
を必要としないところからはじまるという安心感にあるのではないかと言うのがここまでの感想。
逆説的にはもやもや感が残るうちは基本に立ち返るというのは学習においての鉄則なのかもしれない。
学習好きな人はこのもやもや感を打ち消していくことと、もやもやが打ち消されたあとに来る全能感に興奮を感じるというのがあるのかもしれないな、とも思った。