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そもさんせっぱちょーちょーはっし

『事実の前借り』またはたったひとつの僕が許せる「言わない嘘」のこと

しびれる話を聞いた時、人は勇気を与えられたような気持ちになる。登場人物に信頼を寄せる場合はなおさらだ。自分が信じていたことの裏が取れたようで、自身の審美眼の正当性を担保され誇らしい気持ちになるからだ。

僕は「聞かれなかったから答えない」という「言わない嘘」ってやつが嫌いだ。なんというか誠実さにかける。対象に不利益を与える恐れがあるにも関わらず、自身にとって不利な証言を避けることを目的としているからだ。それが長い目で見た場合に対象との関係性を壊す可能性を考慮していない。いやそもそも対象と長い関係性を持つことを当初から考慮していないからかもしれない。だから人を「カタにはめてやろう」というようなスマートなやり口「言わない嘘」が嫌いだ。

閑話休題。しびれた話のことをしよう。
ある人X氏が交渉する立場にいた。AとBと自身であるX氏という三方がいて、X氏自身にとって最も有利になるよう交渉を進めるよう「画策」していた。X氏はこう切り出していた。Aに対しては「Bのため○○が必要」、Bに対しては「Aのため○○が必要」と。実際には「AもBも○○を理解すらしていない」にもかかわらず。その通り、これは明らかな「言わない嘘」だし、そもそも「ただの嘘」だ。

「なんだ詐術か」

違う、そうじゃないんだ。先述した「画策」というのはもしかするとこれは正確ではないかもしれない。これは「画策」ですらなかったかもしれない話なんだ。続けよう。X氏の話をする。彼は頭が切れる。だがおっちょこちょいでそそっかしい。なるほど「天は二物を与えず」か。ただ天はもう一つ彼に授けた。「信念」だ。X氏は見通していた。実際に「AにもBにも○○は必要だった」のだ。ただその説明と説得という重要な手続きをX氏は大きくスキップした。
「時間がなかったのか」ちがう。「自身に有利なように進めたかっただけなのでは」それもあるけど瑣末な問題だとわかった。答えはこうだった。「言ってもわからない人に説明してもしょうがない」なるほど天は三物目も与えるのか。彼は「傲慢」でもあった。
人はどのような時に傲慢になれるのか。思うに「自身を誰よりも高く評価し、絶対なる自信を持っている時」だと考える。正確で客観的な担保もなく、ただ「己が正しい」という場合に、謙虚さが失われれば人は誰しも傲慢になれる。へえなるほど。そうすると「信念」が彼X氏自身を「傲慢」に見せたんだきっと。X氏は誰も騙してない。実際に「AにもBにも○○は必要だった」のだから。「そうなるだろうという信念」でX氏は傲慢に見えただけなんだ。これを僕は「事実の前借り」と称して「言わない嘘」と別格に扱うよう心に刻んだ。「騙した事実は変わらない」のだけど「その裏に紛うことなき信念がある」のなら、僕はそういうのに弱いのだ。なにより(少なくとも現時点では)AもBも幸せにしているしね。