僕たちは「変わらなければならない!」のですか?ほんとに?問題
ここ数年、ことあるごとに「変わらなければならない」と煽られてる気持ちがする。
『能力を発揮できない(とかなんとかよくわかんないけどいい感じになってない状態)のは、現状に適応していない君自身(これは国でも企業でも部課単位でもいい)の問題だ』というのがその叱咤激励の主旨である。というか「変わらなければならない」というのは「今のお前じゃダメなんだばーか」と言っているのと大して変わらない。ので「これは人格否定なのだ」ととっても別段問題は無いかと思う。そう思うことで「これはアドバイスなのだ」と気兼ねせず「はいはいくそったれ」と片付けられる。
僕自身は「人は概ね、個々人それぞれのスタンスにおいて正しい振る舞いをする」と考えているし、
「その人自身の最適化された答えに近いことを意識的無意識的問わず行うものなんだろう多分」と考えている。
つまり
「『君は変わらなければならない』と言う叱咤激励には、発言者の願望が含まれている」
と考えるのが僕だ。
そしてうまく結果を出せない僕達にも、
「いやそうじゃない、結果を出せないばかりじゃない。出そうと思っていない。前向きに結果を出すことを狙っていかない。あえてやらない」
というのも一種の最適解であるのだろう、というのも僕は同様に考える。*1
「君は変わらなければならない」というのは「俺自身は変わらないけどな(グヘヘ)」ということに等しく、「それは君たち個々人の問題だ」という処理の仕方である。
「いや僕はやりません、あえてやりません、結果出そうとかそういうの狙ってません」というのは、「現状の社内機能<システム>に不満がありますからね(ペコリ、失礼します)」という状態への最適応なのだと思えて仕方がない。
非常に狭い空間で
「お前は変われ、今のままじゃ駄目だ」と「僕は変わりません、今のままじゃダメです」というやりとりが繰り返されている。
裏を返せば、
「俺は変わらんよ、今のままでいい、経済情勢をよくみろ」と「そっちが変わってくださいよ、僕のメリットがないじゃないですか」というやりとりだ。
先述したとおり、どちらも正しいのだ。僕はそう考える。
であればストレートな意思表明をする側を支持したい。
「搾取させてください」vs「寄生させてください」になるか。
いやそうではなくて、
「結果を先に出すべきだ」vs「見返りを提示してください」になるか。
とにもかくにも
これは資本主義下におけるタタカイなのだ
とそう考えることにした。
「あいつを変えなれければ負け」であり、「あいつに変えられたら負け」なのである。*2