「カーゴ・カルト」所感、または「体裁カルト」について考えた
消えたプログラマの残したものは - megamouthの葬列 を読んだ。このエントリで「カーゴ・カルト」なる語を知った。 あわせて以下を読むことで「カーゴ・カルト」の概要をなんとなく理解した。
またあわせてWeb上の他の記事を読んだ。
さらには言及している作品として挙げられていた以下作品をkindleで購入して読んだ。
ここまで行い感じたことを書く。
ナンシー・マクダウェルの『「カーゴ・カルト」概念に対する批判』について納得する
カーゴ・カルト - Wikipedia の項目部しか読めていないのだが、その中で理解した範囲で言えばこの批判はある種の正しさを帯びているよう思えた。というのも、
ある民族において、現状理解できない事柄を、現状理解できている物質、精神、文化で解決しようとした場合に、 『カーゴ・カルト』と呼ばれる事象に落ち着くのは人類としてよくあるパターンのひとつである。 なので珍しがり特筆して名付けることは問題(ないしは西洋文明知識人的な傲慢)ではないか
という問いかけなのだと感じた。 この指摘を発展させると「〜という信仰、行動形態を『カーゴ・カルト』と名付けることもまた『○○・カルト』的であり、それは『カーゴ・カルト』と名付けられるもととなった「事象を知識制約内で理解すること」と同じ構造を持っているのではないか、という気持ちになった。この点においてナンシー・マクダウェル氏の批判に納得した。ただナンシー・マクダウェル氏が実在の人物か、この批判を言及した原典はなにか、という確認はとれていないのでここまでにしたい。
「体裁カルト」というのは存在する、とも言えそうな気がする
情報商材やまとめサイトに端を発するデマ記事、または昨今話題の「〜と言われています」的商業でありながらも文責放棄記事が、一定のPVを稼いだりするのは、言ってみれば「体裁カルト」によるものと考えてしまっていいのではないか、という気持ちになってきた。以下にあげるのは「体裁カルト的判断から、無思考で受け入れられてしまっている現状がありそうな事柄」である。
- Webサイトに記載されている利用規約と、その法的妥当性について
- 住宅賃貸契約における特約事項と、その法的妥当性について
- 企業における雇用者被雇用者間の労働契約内容と、その基盤となる労働法(これは法の存在意義も含め)との法的妥当性について
- 内容証明と、その書面内の法的効力正当性について
- 「消防署の方から来ました」営業風官名詐称的所属明示と、その身分担保が十分か否かについて
これらはおおよそ僕個人が嫌う「言わない嘘の結果もたらされるもの」という印象である。狭い範囲内での限定的正しさしか持たない(もしくは全く持たない)にも関わらず、まるで全体適用可能なような主張に見えるのは、それは「単純に体裁が整っているから」というだけなのではないか。