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そもさんせっぱちょーちょーはっし

『ドグラ・マグラ』九州帝国大学教授、若林・正木両名のモチーフについての一考察

底本
夢野久作

エドガー・アラン・ポー

描写1. 若林鏡太郎(九州帝国大学法医学教授)

 私の眼の前で、緩やかに閉じられた頑丈な扉の前に、小型な籐椅子が一個据えられている。そうしてその前に、一個の驚くべき異様な人物が、私を眼下に見下しながら、雲を衝くばかりに突立っているのであった。
 それは身長六尺を超えるかと思われる巨人であった。顔が馬のように長くて、皮膚の色は瀬戸物のように生白かった。薄く、長く引いた眉の下に、鯨のような眼が小さく並んで、その中にヨボヨボの老人か、又は瀕死の病人みたような、青白い瞳が、力なくドンヨリと曇っていた。鼻は外国人のように隆々と聳えていて、鼻筋がピカピカと白光りに光っている。その下に大きく、横一文字に閉ざされた唇の色が、そこいらの皮膚の色と一と続きに生白く見えるのは、何か悪い病気に罹っているせいではあるまいか。殊にその寺院の屋根に似たダダッ広い額の斜面と、軍艦の舳先を見るような巨大な顎の恰好の気味のわるいこと……見るからに超人的な、一種の異様な性格の持主としか思えない。それが黒い髪毛をテカテカと二つに分けて、贅沢なものらしい黒茶色の毛皮の外套を着て、その間から揺らめく白金色(プラチナいろ)の逞ましい時計の鎖の前に、細長い、蒼白い、毛ムクジャラの指を揉み合わせつつ、婦人用かと思われる華奢な籐椅子の前に突立っている姿はさながらに魔法か何かを使って現われた西洋の妖怪のように見える。
 私はそうした相手の姿を恐る恐る見上げていた。初めて卵から孵化った生物のように、息を詰めて眼ばかりパチパチさして、口の中でオズオズと舌を動かしていた。けれどもそのうちに……サテはこの紳士が、今の自動車に乗って来た人物だな……と直覚したように思ったので、吾れ知らずその方向に向き直って座り直した。

描写2. 正木敬之(九州帝国大学精神病学教授)

 私のツイ鼻の先に奇妙な人間が居る……最前から、若林博士が腰かけているものとばかり思い込んでいた、大卓子(テーブル)の向うの肘掛廻転椅子の上に、若林博士の姿は影も形もなく消え失せてしまって、その代りに、白い診察服を着た、小さな骸骨じみた男が、私と向い合いになって、チョコナンと座っている。
 それは頭をクルクル坊主に刈った……眉毛をツルツルに剃り落した……全体に赤黒く日に焦けた五十恰好の紳士であるが、本当はモット若いようにも思える……高い鼻の上に大きな縁無しの鼻眼鏡をかけて……大きなへの字型の唇に、火を点けたばかりの葉巻をギュッと啣え込んで、両腕を高々と胸の上に組んで反りかえっている……骸骨ソックリの小男……それが私と視線を合わせると、悠々と葉巻を右手に取りながら、真白な歯を一パイに剥き出してクワッと笑った。

本作品でアンポンタン・ポカンな呉一郎を惑わす二名の教授であるが、
この教授陣をイニシャルから

若林の< W > ←→ 正木の< M >

相互補完的関係である、とする説は『夢野久作の世界』などで見られた。

正木・若林は久作が表面上規定するほどに対蹠的であろうか。いや、この設問はうまくない。たしかに対蹠的であるが、ポジとネガ、つまりは相互補完的な意味において対蹠的なのである。正木はしばしばMであり、若林はしばしばWである。悪い冗談のようであるが(悪い冗談でない久作文学はない)、Mを倒立すればW、WをかえせばMではないのか。
(『夢野久作の世界』第三部 新たなる視座からの接近「循環的腐乱世界の構造」)

それとともに小説の構成自体もまた、一種の反復あるいは同心円のような構成になっている(略)なるほど、この二人は対照的に、一方は「六尺を超える巨人(おおおとこ)」であり、他方は「骸骨そっくりの小男」である。しかし、「記憶の鏡に」映して真実を語っている(はずの)正木の話のなかで、かれらが〈M〉と〈W〉として語られるとき、この二文字のいわば(上下に関する)鏡像的対称性ゆえにこの両者の判別をつけることは不可能なのだ。
(『物語の迷宮』第七章 ペダントリーの饗宴―あるいは文学機械としての博識「『ドグラ・マグラ』-円環の迷路」


学生時分には「この解釈、なんか納得いかねえんだよなあ」という気持ちであった。
確かに二人は目的を同じくして「アンポンタン・ポカン」青年を「呉一郎」へと認知させようと謀略(としておく)を巡らせているわけで『相互補完的』はうなずける部分はあるけれど、そもそも「若林でかいのに正木ちいせーじゃん」というのが僕の感想だった。
ラージWはスモールmにはならないんだよなあ。

で、この説を補うためにモチーフをさがすことにしたのが卒業論文作成当時のお話である。
ただ「おそらくこれだろう」というのは見つけられたのだけど、その証拠みたいなものが全く見つからないので、
「いっそブログエントリにしたら誰か探してくれるんじゃあるまいか」という期待を込めて、
トンデモ上等で一エントリをでっちあげてみました。


エドガー・アラン・ポーに『スフィンクス』という、とても短い作品がある。
主人公である〈ぼく〉はニューヨークのコレラの恐怖を遠くに聞きながら、薄ボンヤリと現実的な死に対しての恐怖と、それに反した怪奇趣味が胸のうちに共存した形で芽生え始めていた、そんな時に事件は起きた。以下でいう「この動物」とは『スフィンクス』そのもののことである。

この動物の大きさは、それが通り過ぎた一本の大樹――数本の大木は荒れ狂う地すべりを免かれたのである――の直径と比較して、現存のいかなる定期航路船にも優ると推定された。定期航路船などと言ったのは、怪物の形状から思いついたためである。
七四門の砲を備えた我が国古戦艦の姿は、この怪物の外形について何がしかの観念を伝えるかもしれない。太さは普通の象の胴体ぐらい、長さは六、七十フィートほどある鼻のさきに、口があるのだ。そして鼻の根元には、水牛二十頭分の毛を集めたよりも多い、厖大な量の黒い毛が密生している。この毛から下方に、二本の光り輝く牙が垂直に突き出ているのだが、それらは猪の牙を途方もなく巨大にしたようなものである。鼻と平行に、左右から、長さ三、四十フィートの棒状のものが前に出ている。これは純粋の水晶で出来ているらしく、形は完全なプリズムを成し――落日の光をこの上なく豪奢に反映していた。胴体は、大地に先端を突きつけた杭のような形をしている。そしてそこから二対の翼が生え――一つの翼が長さ百ヤード――一対は他の一対の上にあって、すべて金属の鱗でおおわれている。一つ一つの鱗は、どうやら、直径が十ないし十二フィートあるらしい。上段、下段の翼が強靭な鎖で連結してあることをぼくは認めた。しかしこの恐ろしい怪物の主たる特徴は、ほぼ胸全体を覆っている髑髏(されこうべ)の絵であった。それは体の黒地の上に、まるで画家が入念に描きあげたかのように正確に、眩ゆいばかりに白く描かれてあったのだ。
(ポー『ポー小説全集Ⅳ』「スフィンクス、原題The Sphinx丸谷才一訳)

種明かしをすると、この『スフィンクス』の正体は蛾である。

「君が怪物をことこまかに描写してくれなかったら」と彼は言った。「その正体を示すことは出来なかったろうね。まず、昆虫(インセクタ)綱(つまり昆虫なのですよ)、鱗翅(レピドプテラ)目、薄暮(クレプスクラリア)族、スフィンクス種についての、学生向きの説明を読みあげよう。こういう説明なんだ。
『四枚の膜質の翼は、金属状の外観を呈するいささか着色せる鱗によって覆われている。口は、同時に、巻き上げられている鼻であり、顎を伸ばせば口が開く。その左右には大顎と毛状触髪の痕跡がある。優勢翼と劣勢翼は一本の堅い毛によって接続されている。触覚は細長い棍棒の形をなし、プリズム状である。腹部に突起がある。髑髏(されこうべ)スフィンクスは、その憂鬱な叫び声および胴鎧にある死の紋章によって、これまでときどき、俗間に恐怖をまきおこした』」
彼はここで本を閉じ、椅子に腰かけたまま体をかがめ、先程ぼくが「怪物」を見たときと全く同じ位置に身を置いた。
「ああ、ここだ」と、やがて彼は叫んだ。「山肌を降りてゆく。とても目立つ恰好だ。でも、君が想像したほどは決して大きくないし、遠くへだたってるわけでもない。なぜって、窓枠に蜘蛛が張った糸の上を、のたくってのぼってゆくのだもの、こいつはいくら大きくたって十六分の一インチぐらいでしょう。ぼくの眼から十六分の一インチぐらいしか離れていないのですよ」
(ポー『ポー小説全集Ⅳ』「スフィンクス、原題The Sphinx丸谷才一訳)

「どんな蛾なんだろう」と俄然興味である!
多分みなさん一度は目にしたことがあるはずです。
羊たちの沈黙』でモチーフになっているあの髑髏模様を背に持つ不吉な蛾をイメージしていただければいいかと思います。
※しかしこちらは(ドクロ)メンガタスズメAcherontia atroposと呼ばれています
※『スフィンクス』の蛾は学名から言えばこちらSphinx ligustriあたりなのかなと思えますが、ドクロはないんですよね。


と思ったらばっちりだった。
The Sphinx- Edgar Allan Poe
Death's-head Hawkmothには

Edgar Allan Poe's short story The Sphinx describes a close encounter with a death's-headed sphinx moth, describing it as “the genus Sphinx, of the family Crepuscularia of the order Lepidoptera.”

とドクロメンガタスズメの項に説明があった。
また以下のような画像も見つけたので補強材料になるかなー。
Two-Fisted Tales of True-Life Weird Romance!: The Sphinx by Edgar Allan Poe.
一枚目にドクロメンガタスズメの描写が、
三枚目に"death's-headed sphinx moth"の記述がみられました。



結論を急げば
1. 若林は『スフィンクス』の「真犯人」ドクロメンガタスズメであり、正木はその背中のドクロそのもの = つまりポー的犯人像
2. ラージWとしての若林からスモールmとしての正木への遷移は、

その間に若林博士ぐるりと大卓子をまわって、私の向こう側の大きな廻転椅子の上に坐った。最前あの七号室で見たとおりの恰好に、小さくなって曲がり込んだのであったが、今度は外套を脱いでいるために、モーニング姿の両手と両脚が、露わに細長く折れ曲がっている間へ、長い頸部(くび)と、細長い胴体とがグズグズと縮みこんで行くのがよく見えた。そうしてそのまん中に、顔だけが旧(もと)の通りの大きさで据わっているので、全体の感じが何となく妖怪じみてしまった。たとえば大きな、蒼白い人間の顔を持った大蜘蛛が、その背後の大暖炉の中からタッタ今、私を餌にすべく、モーニングコートを着てはい出して来たような感じに変わってしまったのであった。

「若林の収縮」として〈私〉が認識しているところから確認できる。またこの認識は『スフィンクス』の「僕」と同じ混乱状態である。
3. 若林と『スフィンクス』に見られる描写の類似点
白金色(プラチナいろ)の逞ましい時計の鎖 = 強靭な鎖(strong chain)
軍艦の舳先を見るような巨大な顎 = 七四門の砲を備えた我が国古戦艦の姿は、この怪物の外形について何がしかの観念を伝える(because the shape of the monster suggested the idea- the hull of one of our seventy-four might convey a very tolerable conception of the general outline.)

4. 正木と『スフィンクス』に見られる描写の類似点
骸骨ソックリの小男 = ほぼ胸全体を覆っている髑髏(されこうべ)の絵
「全体に赤黒く日に焦けた五十恰好の紳士」が「真白な歯を一パイに剥きだして」 = それは体の黒地の上に、まるで画家が入念に描きあげたかのように正確に、眩ゆいばかりに白く描かれてあったのだ
あわせて
(I observed that the upper and lower tiers of wings were connected by a strong chain. But the chief peculiarity of this horrible thing was the representation of a Death's Head, which covered nearly the whole surface of its breast, and which was as accurately traced in glaring white, upon the dark ground of the body, as if it had been there carefully designed by an artist.)


どうでしょうか。
ngsw が知りたいのは以下。
1. 夢野久作はポーの『スフィンクス』を読んだ、という事実
2. 『スフィンクス』が日本に初めて紹介された時期
3. くわえていうとメーテルリンク『蜜蜂の生活』を読んだ、という事実
がわかればいいなー、と思いこのエントリをまとめました。
※3は別の説を持っているので

さて、『スフィンクス』に出てくる探偵役である「彼」の発言を引用する。

「たとえば」と彼は言ったのである。「民主主義の普及が広く人類に及ぼす影響を正しく評価するためには、この普及が達成されるのはおそらく遠い将来においてであるということが、まずその評価の一要素でなければならぬ。ところが、問題のこの点について、論ずるに値するだけ考えぬいた政治学者が、今まで一人でもいたでしょうか?」


なお夢野久作は1936年03月11日に「来客の応接中に脳溢血で急死した」とのこと。
これは二・二六事件のわずか二週間後にあたる、というのも出来過ぎた話と思える。